御前様(納戸神様)掛軸「パブロー様」。捕方から転じて信徒になり、最後には殉教した幸四郎様の像[堺目O家]
う理由はどういう点からからでしょうか。
鳥山…「おじ様」「おとっ様」などの階級があり、儀式の時はあいさつとかオラショ<祈祷文>を唱えるために長い時間正座しなくてはなりません。またこのオラショを覚える勉強もあります。今、暇がないこともあって習得が難しいようです。
私の場合、昭和三十六年に私の父に師匠取りしまして、二四名が一緒にオラショを習いました。堺目では全てのオラショを唱える「一通り」とそのうちの決まったいくつかのオラショを唱える「六巻」という唱え方がありますが、その時はまず六巻を覚えました注?。昭和六十一年には、私は代々ツモトの役を務める島山家の跡取りとしてオラショ一通を覚えましたが、これは大変に難しい作業でした。口伝えで覚えましたからね。
田淵…三十代に長老から「覚えていて悪いことはないから自分たちの達者なうちに習っておけ」と言われ、友人と二人で口伝えで習いました。私は覚えが悪く、友人の方が早く覚えてしまったので「おまえは頭がすずしか方と地区では聞いておるが、不真面目だ、井戸に行って水を被ってこい」と怒られた記憶があります。私の住んでいるのは元触で、島山さんの堺目とは組織が多少違います。神様を守りお世話する宿をツモトというんですが、こちらでは任期が三年で交代するのです。私にその番がきた時には昔覚えたオラショは忘れておりまして。再度覚え直しました。
谷川…隠れキリシタンという言葉は、江戸時代に隠れて信仰していたからそう読んでいたのでしょうけど、外部の人が付けたいいかたです。鳥山さんのご先祖は、隠れキリシタンのことを自分たちでは何と言っていましたか。
鳥山…特別の言い方はありません。隠れキリシタンとか旧キリシタンと言っています。
谷川…生月島では旧キリシタンは何人いますか。
中園…島の全人口は八千五百人で、旧キリシタンは千人強でしょうか。舘浦とか壱部浦の漁村部では、現在ではほとんどおられません。農村部の山田、元触、堺目、壱部在の四地区で盛んです。
谷川…組織はどうなっているのですか。
鳥山…堺目では「おじ様」「おやじ様」それに「コンパンヤ」の代表である「み弟子」、それに一般信者です。「おじ様」は、会社で言うと会長のようなもので洗礼「お授け役」を務めます。
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